top of page

HOME>沿革

タイトルバー オレンジ.jpg

沿革

                             障害者が地域で暮らし続けるために

                                    特定非営利活動法人 

                                    上福岡障害者支援センター21 理事 有山 博

 

とんぼの会発足  1976年に旧上福岡市で、収容施設中心の福祉に対して「障害者も共に生きる地域を作ろう」を合言葉にして、障害児・者、その家族、支援者(その頃、まだボランティアという言葉は使われなかった)の団体「とんぼの会」が発足した。

当時は入所施設をつくって、そこに障害者を収容することが「保護」とされて、障害者福祉政策の目標だった。また、学校に行けない障害児の教育権を保障するということで養護学校を全国に作ろうとしていたころだった。障害児がいることを隠すようにして家族だけが家の中で介護していたころよりは「福祉」が進むと、その当時は考えられたのだが、結果としては、障害者はそういう所(入所施設)に暮らすべき人々だ、そういう所(養護学校)で学ぶべき子達だという「隔離」の「常識」をつくった。

大きな立派な施設に入って、そこに安全と保護があったとしても、障害者一人ひとりが主人公となる人生はあるのだろうか。重い障害を持つ人も地域社会で暮らすことはできないのか。そんな問題意識を持ったものたちが集まって活動を始めたのがとんぼの会だった。

しかし、そう言いながらも、当初からの会員の息子さんが施設入所を選ぶとか、アパート暮らしを始めた全身性障害者の青年が挫折して施設に入るといった苦い経験を重ねた。拠点や専従職員がいないボランティア団体の限界だった。とんぼの会10年目、存続の危機のなかで、何回も話し合いを重ね、1985年春に「とんぼ塾の充実・拡大、青年障害者の通所できる施設やお店の実現、障害者の小規模生活寮建設」といった目標をかかげた10年後ビジョンを作成し、実現に向けて歩き出した。

 

日中活動の開始   85年春、上福岡在宅者作業実習教室準備会発足、平日の日中活動開始。療護施設を出て、とんぼの家で自立生活訓練を始めた荒川さんの援助としての意味合いがあった。

    1987年秋、かみふくおか作業所設立に動いた手をつなぐ親の会と袂を分かち、センター21の前身団体「上福岡障害者自立生活センター21」を立ち上げ、とんぼの家(北野1丁目)にて通所の日中活動を開始した。牛乳パックのリサイクル紙や廃品回収、フリーマーケット開催などをしながら、見学、学習を重ね、まずは店や工房といった働く場を設置すること, そうしたことに行政の援助を得ることを目指した。

以下その後の事業の展開を時間を追って紹介すると。

1991年    7月、自然食品と福祉作業所製品の店「まめの木」開店。現在上福岡駅西口にあるココネ上福岡のビルが建つ辺              り にあった商店街の中に、障害者が働く店としてオープン。2002年、上福岡駅西口再開発のために立ち退きと               なり、「協働舎レタス」(後述)内に移転して、独立の店としては消滅。

1992年    5月、市議会宛に1053名の署名を添えて財政援助を求め、議会で請願が採択され、翌年度から60万円の市単独補              助金が出るようになった。

1994年    社団法人埼玉障害者自立協会の援助を受け、自立生活プログラムを始める。

              8月、療護施設を出て大井町でアパート暮らしを始めた伊藤準さんの一人暮らしの支援開始。

1995年    くまのベイカーズ(心身障害者地域デイケア事業)。川越市民の仲間がふえてきて、川越市の援助が受けられ               る見込もついたので、川越市熊野町に定員10人のクッキー・パン作りの工房を設置した。翌96年度から川越市               の心身障害者地域デイケア事業として認められる。自主生産、出張販売をしてきたが、2006年秋、有限会社                  PGSJ(プルデンシャル生命保険の障害者雇用特例子会社)と提携して、クッキー作りの請負作業中心の仕事に変                 更。作業場も移転した。<〒350-0000川越市諏訪町123-4グレイスメイビル。電話049-248-4780>

ケアつき住宅と介護者派遣

1996年    みどり荘(生活ホーム事業)上福岡市に承認を受け開所。アパートを1軒借り受け、5人の障害者が住む。世               話人は常勤1名と非常勤1名。世話人の泊まりはなし。<〒356-0005ふじみ野市西2-5-9、電話049-264                -0141>

             上福岡市、全身性障害者介護人派遣事業を開始。重度障害者が有料ボランティアを使い自立する道が開けた。

1998年    ケアシステム障害者生活支援サービス二人三脚発足。自立生活をする障害者のための介助者派遣事業をセンタ               ー21の活動の一つとして始めた。2002年支援費制度に対応するためNPOに改組し、組織上は別組織にし、セン                 ター21と足並みをそろえて活動する。障害者自立生活プログラムと介護者派遣事業を行う。登録ヘルパー約60               人、ヘルパー利用者約70人。<〒356-0004ふじみ野市上福岡4-6-11イシデンビル。電話049-264-0990>

1999年    協働舎レタス(心身障害者地域デイケア事業)、上福岡市の設置承認を受け開所。1987年から始めた上福岡市               内でのセンター21日中活動がここにおさまった。定員19人。自然食品他のショップ、調理場を併設。通所して                いる人たちの障害の種類や程度、年齢が様々で、ポスティング、菓子・パン作り、出張販売、公園清掃、牛乳               配送、アルミ缶回収、店番などの作業を行ってきた。就職を目指して外部実習している人もいる。<356-                    0004ふじみ野市上福岡4-6-11イシデンビル。電話049-264-5497。049-261-4495(店)>

法人化して国の制度利用開始

2002年    支援費制度開始。NPO障害者自立生活センター二人三脚発足。これに関係して、センター21は、上福岡障害者                 支援センター21と改称。

     10月、ハンセン病療養所を脱出し、地域生活を35年間続けてきた甲斐俊雄さん(センター21運営委員)死亡。                 自立生活運動の先駆者であり、センター21の精神的な支えだった。

     15周年記念コンサート実施。

2003年    生活ホームひまわり開設。知的障害の人たちのために一軒家に5人が住む家族型生活ホームを開設した。世話               人常勤1名と非常勤1名。日替わりの宿直スタッフを入れている点がみどり荘と違っている。<〒350-0000                川越市藤間1242-00。電話049-247-4303。

2006年    障害者自立支援法施行。9月くまのベイカーズ、PGSJと提携開始、諏訪町へ移転。

2007年    2月、NPO二人三脚を、NPO上福岡障害者支援センター21と改称し、4月よりセンター21の全業務、人員、財産を               新NPOに統合した。

2008年    3月、センター21創立20周年記念事業として、記念集会(3分科会に別れ、将来の暮らしを考えた。)と記念旅               行(房総半島)を行う。

2008年    4月、くまのベイカーズが心身障害者地域デイケア施設から地域活動支援センターに衣替えした。ふじみ野市                 老人センター太陽の家内の売店経営を引き受けた。

2009年    3月、3つ目の共同ホーム(第2ひまわり)を開設し、第1ひまわりとあわせて、ケアホーム(国の制度)に改                    組。4月より入居。

2010年    4月、協働舎レタスが心身障害者地域デイケア施設から地域活動支援センターに衣替えした。

2014年    10月、相談支援センターあいぼうを立ち上げ、障害福祉サービス利用計画作成の手助けを始めた。

2015年    1月、レタス、就労継続支援B型施設に移行。10月、川越市諏訪町の土地240平方メートルの土地を関係者より               購入。

2016年    4月、ふじみ野市の障害者相談支援センターに週1日相談員を出向させた。8月川越市にくまのベイカーズ新築                 費用の補助金を申請。9月、グループホームひまわりのサテライトホーム(1名分)を開設。

2017年    4月、ふじみ野市内の喫茶ぽぽの経営を身体障害者福祉会から引き継いだ。6月くまのベイカーズ新築費用に対               して国庫補助金の内示が降りた。

葉②.png
bottom of page